忘れえぬ雪国 福井の思い出



 たった二年半という短い転勤でまたもとの家に戻った私ですが、福井とのつながりはとても思い出深く心に残っています。


 生まれ育った大阪を後に、もう体操が出来ないかも知れないという淋しさと不安を胸にだき、暑い盛りに引越したのがつい昨日のことのようです。子供を学校に送り出し昼間はいつも一人ぽっち。 外はいつしか秋風が吹く爽やかな季節になっておりました。そんな時いつも思うのは体操のことばかり。よし、ここでひとふんばりして真美をやってみよう。そう思うといてもたってもおられず、さっそく教室探しに奔走しました。


 見知らぬ土地でレッスン場を見つけるまでの苦労は大変なものでしたが、今では思い出の一つになっています。教室を開いたお陰で友人も増え、福井のことなら、”私におまかせ”になりました。また よそと違う点は、福井が日本有数の雪国だと言うことで、その雪にかかる時間と費用は大変なものです。


 冬のレッスンは普段より一時間早く家を出ても遅れることしばしぱ。朝、目が覚めて雪をみると大あわて。生徒さんも傘にカッパに長ぐつといういでたちで、顔はびしょ濡れ。でもいつも明るい声で「おはようございます」と言って下さるその言葉が嬉しくて、大雪もなんのそのでせっせと教室へ出かけたものでした。


 ラ・フル・ラーナの曲を背に、知らない土地福井で真美をしていると思ったとたん目頭が熱くなり、必死で涙をこらえたあの思いは一生忘れません。今でもあの曲を聞くと胸がジーンと熱くなります。
 福井では今日もまた真美のメロディが流れていることでしよう。

大阪(田中じゆん子」

1984年12月
短い転勤の間に“真美の集い“を開くまでになった田中さん。 雪国福井にも真美の輪が広がりつつあります。 小さな種からかわいい芽がでて、やがて大きな真美の花になるでしよう。 福井の皆さん頑張って!
                     本部より

 この記事を励ましの言葉 と共に掲載したのは1984年12月、今から33年前です。田中先生は再ぴ福井に戻り小さな種から大輪の花を育てられました。現在は北陸地区本部代表として福井・富山のインストラクターを率いて、さらなる飛躍を目指し頑張っていらっしやいます。

(E・M)