九州地区本部
留学生との交流会
真美体操との出会いは、市民センターの教室見学でした。30代前半の私は池田先生のしなやかでレオタード姿が美しいボディラインに見とれながら、ストレッチやダンスをしていました。発表会や集いで「山崎会長」のパワフルなオーラに感動したものでした。
35歳で再就職し55歳で退職まで中断し、再度教室を訪ねると、聞き覚えのあるカノンでストレッチが始まりました。その時の感動は忘れられません。
20年のブランクが不安でしたが、指導する池田先生が温かく迎えて下さり古希を迎える今年まで、週一回の教室が生活のリズムとなっています。 私の住む北九州市若松区は学術研究都市として世界各国から沢山の留学生達が 学びにきています。留学生に中国語を習い、留学生支援のボランティアに参加することになり、国籍や年齢を超えて異文化の人達との交流する機会に恵まれました。日本の季節行事、家庭料理等一緒に体験していく中で改めて日本の良さに気付かされました。
箪笥の中で眠っていた浴衣や着物を着たり、着せたりする為に着付け教室にも通い新たな楽しみが増えました。お茶会で着物や袴を着てお点前を披露する留学生達の凛々しい姿に感動します。卒業して世界各地で活躍する思い出を共有した人達やそのご家族とは、今でもアェィスブックで繋がっていて、便利な世の中になったものです。これからも真美体操の「しなやかな体と心」で新たな出会いに期待しています。
北九州支部
池田教室 奥岡洋子
仲間との出会いに感謝
私が真美に出会ったのが20歳の時、幼馴染である現在インストラクターの彼女の紹介でした。レオタードに身を包み、音楽に合わせて休む間もなく動いている姿に圧倒されジャージにTシャツ姿で見よう見まねで練習に励んでいたのが昨日の様な気がしています。
地域の体育事業の催しで初めて披露したのが「め組の人」。今ではあまり踊らないが、三つ子の魂なのか、 これだけは何故か覚えています。最初の水元先生が出産を期に、馬渡先生の指導を受ける事になりました。
がなんと真美10周年と言う事で島原文化会館での大舞台を踏むことになり、各教室でのレッスンも熱気を帯び、合同レッスンともなると先生の顔が段々厳しくなってきました。私達はそれに答える様に、白分達で お手玉を作り、Tシャツにスバンコールを付けで衣装を作ったり、チケット販売、広告参画等…深い思い出になっています。
野球しか興味がない父が「体操ってどがん事ぱしいよっとか見に行こうたい!」と母を誘って観に来てくれました。その後母から聞いた事ですが「中々見ごたえあったたい!」と話していたとか、母は20数年経った今でも「もうあんな事はせんとね! もう一回観たかね!」なんて今でも話す事があり、とても貴重な経験をきせて頂き感謝しています。
私が真美に出会っで30年、何かあると話を聞いてくれて、意見を言ってくれたり、一緒に心配してくれたり、直ぐに駆けつけてくれたりお腹をかかえて笑ってくれたり…これも私を真美に誘ってくれた和美先生と、仲間との強い絆があるからこそ長く続けてこられたことに感謝です。
3月に一人の仲間が亡くなりました。社交的でとても明るくしっかり者の彼女でした。きっと私達を見守ってくれていることでしょう。心からご冥福をお祈りいたします。 あなたがいて♡ありがとう
長崎支部
岡教室 三浦智恵美
真美とマラソン
幼い頃から多趣味でいろいろやってきたが、真美と出会ってからはどっぷりのめり込むものは現われなかった。ところがスポーツ少年になった息子のサッカーや野球の待ち時間に読書をしていたが、冬は日暮が早く寒いので思いついたのがランニング。息子に時間を費やす日は、レッスンもなく丁度良かった。
ある時、愛援マラソンが全国でも人気のあるマラソンだという事を知り、軽いノリでエントリーしたのが2012年の大会。沿道の応援とQちゃん(高橋尚子さん) のハイタッチ等に盛り上げられて楽しく走れ、初マラソンで5時間を切る好タイムで完走。マラソンの魅力 にハマッた瞬間。
しかし、その後3年、人気を象徴するように落選。やっと走れる事になった今年はとにかく暇があれぱ走った。レッスン前に20キロ走る日も。ジョギングとレッスンを目一杯踊って足がパンパンに。当日のマラソンでは、28キロ過ぎでとうとう足が悲鳴を上げた。沿道の応援の方がエアサロやコールドスプレーをかけてくれ、助けられた。歩きながらも4時間15分40秒で完走したが苦しいマラソンになった。
それでも真美もマラソンも大好き。次は楽しく走りたいという思いで、6月にスイーツマラソンをジュニア全員と共に、チーム真美でリレーします。
>今日も武田教室は元気一杯!!パワー全開!!
愛媛支部
インストラクター 武田素子